◆ 世界文化遺産 髙山社跡

       ★  富岡製糸場と絹産業遺産群

 富岡製糸場と絹産業遺産群(髙山社跡・田島弥平旧宅・荒船風穴)は、2014年6月21日にドーハで開かれた第38回世界遺産委員会で、世界文化遺産への登録が正式に決定した。

 これらの文化遺産群は、日本の近代化だけでなく、長い間生産が限られていた生糸の大量生産を実現した、絹産業の技術革新や世界と日本との間の技術交流を主題とした近代の絹産業に関する遺産でもある。

 しかも、日本が開発した絹の大量生産技術は、一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め、その生活や文化をさらに豊かなものへと変えた

 絹の産業に大きく貢献した富岡製糸場は敷地を含む全体が国の史跡になり、初期の建造物が国宝および重要文化財に指定されていた。

      ★  富岡製糸場

 富岡製糸場は、フランスの技術を導入した日本初の本格的製糸工場。明治5年(1872)に明治政府が設立した官営の器械製糸工場で、民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に索引し、髙山社・田島家・荒船風穴などと連携して、蚕の優良品種の開発と普及を指導。

 和洋技術を混交した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨煉瓦造の繭倉庫や絹糸場など、主要な施設が創業のままほぼ完全に残されている。

      ★  絹産業遺産群

  * 髙山社

 日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した場・養蚕教育機関である。明治16年(1905)、髙山長五郎は、痛風と温湿度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育方法を確立。翌年、群馬県藤岡市髙山の地に髙山長五郎が設立した養蚕教育機関髙山社は、そのぎじゅつを全国および海外に広め、「清温育」は全国標準の養蚕法となる。

 明治24年(1891)に建てられた住居兼養蚕室は「清温育」に最適な構造で、国内や海外から多くの実習生が養蚕技術など多岐に亘って学んだ。

    田島弥平旧宅

 痛風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平の旧宅。文久3年(1863)に建てた住居兼養蚕室は、間口約25m、奥行き約9mの瓦葺き相2階建てで、初めて屋根に換気用の越し屋根がつけられた。

 この構造は、弥平が「清涼育」普及のために著した「養蚕新論」「続養蚕新論」によって各地に広まり、近代養蚕農家のモデルとなった。

   * 荒船風穴

 自然の冷気を利用した、日本最大規模の蚕種貯蔵施設。明治38年(1905)から大正の始めころに造られた。

 岩の隙間から噴き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にした。荒船風穴には3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島まで及んだ。

           ★  世界文化遺産 髙山社跡

    * 分教場

   現存の髙山社跡の母屋兼養蚕室は分教場であるが、ほかにもう一つの分教場があることを知ったのは、髙山社跡のさらに奥にあるくぬぎ山集落の人からだった。くぬぎ山の登り口のところに木造平屋の小さな建物があった。これが髙山社の分教場だと教えられたが、当時それほどの関心がなかったので忘れていた。集落の人は、今の髙山社跡をは、養蚕と養蚕学校だったが、住んでいた親族が高齢で転居する際に市へ寄贈して、今は市の管理下にあるといっていた。

 分教場は、髙山社で養蚕技術などを学びたいという学生が増えたため、多くの学生を指導するために優秀な社員の家を「分教場」として開き、清温育を教えるようになった。このような分教場は全国各地に116ヵ所に設置されていた。

    * 清温育指導員

 髙山社養蚕学校の優秀な卒業生は授業員として国内外へ派遣され、清温育を実地教育した。養蚕学校の教育は養蚕だけに偏らず、数学・物理・化学・生物学などとともに、外国語も教育科目として取り入れ大学並みの研究教育機関として、甲種養蚕学校では明治初期の唯一の私立学校だった。

     * 髙山社の母屋兼養蚕室

 髙山社跡の母屋兼養蚕室に入るには長屋門をくぐる。長屋門は、江戸時代後期180年前、または、1687年ころに建てられたといわれ、修復後は一般に公開されている。長屋門をくぐると正面に母屋兼養蚕室の木造瓦葺き2階建ての建物があり、1階は養蚕室と寝泊まりできる居室がある。

 母屋兼養蚕室の2階は、急な階段を上ると、全体的にうす暗いが蚕室となっていて「蚕棚」がる。2階の各室の構造は床は板張りで、火鉢が木枠とともに床にはめ込まれていて、換気が十分にされるように床の中央に格子状の換気設備がなされている。天井にも換気がなされるように天窓が施されている。養蚕に欠かせな痛風対策だ。2階は、養蚕の時期には実習生たちがこぞって蚕の飼育を行ったのだろう。

 母屋兼養蚕室を出ると、外便所と炊事場兼風呂場になった焚屋がある。風呂場の外にはさび付いた五右衛門風呂の釜がある。子供のころ、祖父の家でこれと同じ五右衛門風呂に入った記憶がある。昔、友人と旅行った際に宿泊した宿の五右衛門風呂があった。友人は風呂に入りる際、中板を外して入ったためにヤケドをした。彼は、五右衛門風呂も知らなかったので無理なかった。今の若い人たちは五右衛門風呂も知らないだろう。

  髙山社跡の裏庭には土を」掘り起こして作られた貯蔵庫がある。蚕の食料になる、桑の葉を貯蔵たのだろう。桑の葉は。質によって蚕の育ちが違ってくる。人間と同じだ。良質の桑の葉を与えるために、桑の栽培をも行っていたのではないだろうか。

   ★  髙山社情報館

 髙山社跡を出てから、清流の三名川を渡り、木立の中の道を約300mほど行くと、髙山社情報館がある。蚕と養蚕を実体験できる。蚕を手の平にのせて見ることもできるが、大概の人は気味悪がって敬遠する。蚕は、毒も害なく手の平で体をよじらせて動くのを見てるだけでも楽しく、とてもかわいい。ためらわず蚕を手の平にのせて観察するのは、子供たちだ。情報館では蚕が桑の葉を食べているときや、繭をつくるときを見せてくれる。

  蚕は普通は白い繭だが、情報館では群馬黄金(ぐんまこがね)といって金色、つまりは黄金の繭つくりを見せてくれる。群馬黄金が細い黄色の糸を出しながらの繭つくりは時間を忘れて見てしまう。蚕の繭つくりも季節によって観察できないが、繭つくりのビデオなどで楽しむこともできる。一度、髙山情報館に行かれることをお勧めしたい。

 参考資料:

富岡製糸場と絹産業遺産群 探訪ガイド・藤岡市教育委員会 髙山社跡ガイド

                   

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