◆ 鐘撞堂山

   ★  北条方北の守り鉢形城の物見山

  埼玉県寄居町に所在する鐘撞堂山(かねつきどうやま)は、戦国時代に甲斐・信濃からの侵攻に備え、重要な役割を備えた鉢形城の物見の低山だった。

  天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原侵攻の際には北条方の重要な支城として、北条氏直の四男猛将氏邦が城主として北の守りを固めていた。秀吉の命により、前田・上杉等の北国軍が包囲して激戦を繰り返し、矢玉尽き約1ヶ月に渡って籠城した後開城して落城、その後氏邦は加賀前田家にお預けの身となって加賀金沢で生涯を終える。

 鐘撞堂山は、鉢形城の物見山として敵の来襲があれば山頂の鐘をついて来襲を知らせたという重要な役割を担っていた。敵の来襲を知らせる鐘だからかなり大きな鐘であったのだろうと推測される。

     ★ 登山への道を開く山

 この歴史ある鐘撞堂山を知ったのは、池波正太郎著「忍びの旗」を呼んでからで、生活の場を群馬に移してから登ってみた。いずれも車で、鐘撞堂山の西のある人造湖”円良田湖(つぶらだこ)”の駐車場に車を停めてからの登りだった。

  鐘撞堂山への登山道はしっかりしていてよほどのことがない限り迷うことはない。標高が330.2mなので軽いハイキングのような感じで登りつづければよいが、低山でも山は山ですから気を抜かないで慎重に登ることです

 この鐘撞堂山のことを群馬で知り合った友人に紹介したところ、さっそく登って来たらしくこの鐘撞堂山への登山がきっかけで山に狂い始めていった。さらに、福島の会津磐梯山に登った感想を話したところ、休みを利用して会津磐梯山に登ってきたという。

 また、単独登山に自信のなかった友人が鐘撞堂山に登ったことで単独登山に目覚めて、会津駒ヶ岳・金峰山・赤岳と単独登山をはじめるようになっていった。ということは、どうも鐘撞堂山は登山に自信のない人たちを奮い立たせるきっかけの山になったのかもしれない。

               ★ 山頂から展望

 なだらかな登山道を展望を楽しみながらのんびりと上り詰めれば広い山頂に出る。山頂からは360度の景観を楽しめる。北は榛名山から谷川連峰など上越の山々、西方には羅漢山をはじめ奥武蔵や北武蔵の山並みを堪能できる。さらには、東方に関東平野の大きな広がりを見ることができ、鉢形城の物見山としての価値を存分に確かめることとなる。山頂からさらに南方を見るとスカイツリーを望むこともできる。

 忍びの旗では、侵攻してきた前田・上杉などの連合軍を認めて、鐘撞堂山に詰めていた忍びが鉢形城に知らせる合図の鐘を撞きつづける傍ら、鉢形城へ急信のために山道をひた走る逞しい忍びの姿を連想させる。

 山頂は広い。木造の二階建ての展望台があり、さらに山頂からの雄大な山岳展望をもたらしてくれる。山頂でめにとらえられたのは、東隅にしつらえられた釣り鐘である。それほど大きくないが、時代を経て平和の時代にはふさわしいのかもしれない。山頂に立って振り返ると、鐘の音が鉢形城まで届いたというのだから相当大きな鐘の響きだったのだろう。ちなみに、山頂の小さな釣り鐘を撞いてみると、小さいなりに細く高い響きがはざまに流れていった。鐘の音は山頂にいた人たちが入れ替わりに撞いているのだろう、連続した鐘の響きが山頂から流れていった。

  山頂からの円良田湖への下りも足に負担のかかるような急坂はない。のんびりと登ればのんびりと下るのが鐘撞堂山の山歩きの特徴かもしれない。円良田湖は人造湖とはいえ春夏秋冬の変わり目には自然の彩をたっぷりと見せてくれる。特に、紅葉期が好きだ。紅葉に萌えた山肌が湖面に映し出される光景は、低山歩きだといってもそれなりの疲労がある中でココロと体の疲れを癒してくれる。

     ★ 五百羅漢像と少林寺

 鐘撞堂山から円良田湖へ下った少して手前で、羅漢山と五百羅漢像への道を分ける。五百羅漢像は、羅漢山の分岐付近から少林寺へ向かう山道の左右に表情のすべてが異なる羅漢像が祀られている。歩いても30,40分の所要コース。麓の少林寺からも五百羅漢像への山道があるので、この五百羅漢像を訪ねて来る人が多い。静かな山歩きもできるのでお勧めしたいコースでもある。

●  交通の便

 〇 秩父鉄道・寄居駅から徒歩約30分の大正池回りと、波久礼駅から少林寺まで歩いて羅漢山・円良田湖経ての山道にわかれる。

   秩父鉄道・寄居駅から約30分歩いての大正池回りと、波久礼駅から少林寺まで約30分歩いて羅漢山・円良田湖経ての山道に分かれる。

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