★ 野良猫のプライド

         * 野良猫に出会う

  鮎川の遊歩道を歩いていて、陽だまりで寝ている野良猫たちに会いました。二匹の姉弟の猫のようですが、弟猫は藪に隠れて姿を見せません。しばらく様子を見ていと、姉猫がしきりに後ろを振り返り弟猫を呼んでいるようでした。

  野良猫にしてはきれいでどこかで飼われていたのかもしれません。弟猫はやっと姿を見せましたがすぐに隠れてしまいました。人見知りするのは人間だけでなく動物の世界、猫の世界にもあるようですね。やがて姿をあらわし姉猫に甘える仕草をしています。この二匹の野良猫との出会いが、これからの野良猫との交流の始まりです。すぐ近くの高速道路のガード下付近に野良猫の小屋がありました。

 小屋には4,5匹の野良猫がいましたが、いつの間にか数が減っていました。弟猫の姿も見られなくなりました。なんでも、野犬狩りじゃない野良猫狩りがあって捕獲されたという情報や車に引かれたという話が伝わってきました。

これまで野良猫がいたずらをしたとか食べ物など盗んだという話は聞いていません。野良猫には野良猫なりの一つのルールがあってプライドを持っているのです。不思議なことにスマホなどがなくても野良猫には独特の情報網があるらしく、初顔の野良猫が入れ代わり立ち代わりにガード近くの野良猫小屋に集まってきています。

        * 猫は家に住みつく

 野良猫と一言で片づけますが、一見して気品のある猫、かわいくて飼ってみたいと思ったりするのですが、家族の承諾がなければ一存では飼えそうにありません。猫は犬と違って住み慣れた家にいついて、犬のように飼い主とともに行動するってことがないようです。東京の調布に住んでいた親戚が約100kn離れた神奈川県に転居したときに、長年飼っていた老猫を一緒に連れていったそうです。ところが2,3日経って老猫の姿が見えなくなった。どこを探してもいない。

 所用で旧宅に立ち寄ってみると、老猫は住みなれた旧宅の縁側で寝ていたということです。猫の性格というか習性というか不思議な気がしてなりません。猫は家に住みつくのですね。飼い主に甘えても犬のように尾っぽを振ったりしないということは、猫なりのプライドがあるのでしょう

        * 猫のヒゲ切り

  猫といえば幼少のころから縁があります。小学校2年生頃までは大分県国東市安岐町に住んでいました。小学1年生の頃、親戚の裏山に椎の木があり小さい実がなっていました。その椎の実をとろうと木に登り枝まで達したときに枝が折れて、その下の庭池に落下、池の中でボチャボチャやってもがいているときに、近くにいた猫が私を見てアクビしたりして笑ったようにみえたのです。頭にきた私は猫を捕まえてヒゲをみんな切ってしまった。猫憎しの勢いがあまって近在の猫という猫のヒゲを切ってまわった。猫のヒゲ切りは、子供ごころに快感を覚えたものです。

 村の猫のヒゲがないという騒ぎにばり、ヒゲ切りの悪さをしたことがわかり、宮大工の棟梁をしていた祖父から反省するまで土蔵に閉じ込められました。小学1年の子供に「反省」という言葉の意味がわかりません。すると祖母が祖父に隠れて来て「もうしません。ごめんなさいと謝るだよ」と教えてくれました。祖父に「もうしません。ごめんなさい」と謝り、猫の飼い主の家に謝りに行った記憶があります。

       * 猫のたたり

 猫との因縁はヒゲ切りが発端で大変なことをしてしまいました。小学3年生になって北九州市に転居しましたが、中学生の遊び友達から猫を捕まえて来いといわれ「何すんねん」と聞くと「黙って捕まえて来い」と怒鳴られたのです。猫はすぐに捕まえて中学生のところもっていくと、近くの鉄橋の上まで連れ行かれました。鉄橋の下は八幡製鉄(現新日鉄)八幡工場と戸畑工場を結ぶ鉄道が通っていました。ときには、鉄鉱石などを溶鉱炉で溶解し、その残滓のマグマ状態のものを工場から工場へと運んでいたのでうす。 

 マグマ状態ですから3000℃以上はあったのではないでしょうか。中学生は捕まえた猫を鉄橋の上から鉄橋のしたを通過する際を見計らって投げ込んだのです。猫は一瞬ギャーという声を上げる間なく埋没して死んだのです。「何すんねん」と中学生に飛びつきましたが力では太刀打ちできません。彼は、他の小学生にも猫どりさせて鉄橋から投げ込んでは楽しんでいたのです。

 そのうち彼に異変が起きました。猫が同じように両手で口元を払うような猫動作をはじめたのです。自転車の後ろに乗っているとき、坂道の下りでいきなり両手を離して猫動作をはじめるのです。これは完全に猫のたたりだと直感、鍋島猫騒動を思い浮かべ、猫殺傷事件に加担した私にもたたりがあると恐怖感に苦しめられました。

 私が東京方面に職を求め久々の帰省で駅前からタクシーに乗ったのです。「よう、ひさぶりだな~」という運転手を見ると彼でした。一瞬悪夢がよぎり「降ります」というと「バカいうな、タクシー代はいらないから俺の家に来ないか」と無理やり連れて行かれました。車内で「俺のたたりは治ったよ、お前に見せたいものがある」と。

 彼の家の庭の片隅に塚がありました。猫塚です。雨の日も風の日も休まず供養したとのことで、1年過ぎたころ両手でやる猫動作がなくなったそうです。「理由もなく生き物を殺生しちゃいかんな」とは彼の弁でした。

    *  野良猫は侍でいう浪人

  猫との出会いは複雑です。野良猫との出会いの中で感じたのは、野良猫は好きで野良猫になったのではないということです。心ない飼い主に捨てられて野良猫になったのです。野良猫になった猫にはよほどのことがない限り、代々野良猫で一生を終わることになるでしょう。

 何かに似ていませんか。そうです、江戸時代の浪人です。主を持った侍が何かの原因で家禄を没収されて、浪々の身を置くことになるのです。家族があれば家族も同様ですね。浪々の身になっても主が見つかり仕官すればいいのですが、世の中は厳しいことばかり仕官は難しく、一生浪々の身を送らなければならない。野良猫も同じです。飼い主から捨てられれば浪人(野良猫)になるのです。ただ、違いのは新しい飼い主に飼われても、飼い主の都合で捨てられたという人間不信があるから、飼い猫には成り下がらないというプライドがある。また、人間と違い食べられるものは何でも食べる。生活力があるっていうか、生きることの貪欲で逞しい。ちょっとやそっとで弱音を吐かないし、人間のように自ら死ぬようなことはしない。かえって浪々の身を楽しんでいるのかもしれない。

野良猫に関心を持ったのは弱いように見えても芯は強くたくましく、優しくしてくれる人間にはココロを開いてくれるおおらかさをみたからです。

  私がカメラを向ける野良猫の小屋は犬用のこやです。誰かが雨露を避けるため持ってきたのでしょう。水受けや食器皿もあります。餌を持って来た老婦人に会ったことがあります。老婦人が来るとどこからか野良猫が寄って来るそうです。一度、野良猫を自宅に連れて帰って飼ってみたのですが、1週間くらいで姿が見えなくなり、野良猫の小屋に来てみると戻っていたそうです。

     * 猫は人間の目を見てい

 今、住んでいる町の周辺の野山には野良猫が多い。代々の野良猫もおれば、飼い主に捨てられた野良猫もいます。どの猫も毛並みが良く、決していたずらや盗みをしません。初めて会う野良猫は得てしてめつきがきついというか厳しいです。一人(一匹)で生きていかなければならないから、当然厳しい目つきになることは仕方のないことです。

  野良猫は初対面の人間に会うときは目を見ています。想像ですが、目を見れば緒の人の心の中が見えるのではないでしょうか。目の優しい人間はココロ許せるとみています。人間が猫を見ているのではなく、猫が人間を見ているのです

 野良猫は飼い猫よりも威厳がありプライドが高いように思えます。今も、カメラをもって近在の野山に野良猫との会話を楽しみに歩きまわっていますが、野良猫はそんな人間をどう見ているのでしょうか。聞いてみたいものです

 

 

 

 

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