◆ 国宝・松本城について

  • 2020年8月13日
  • 2020年10月18日
  • 自然と旅
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 ★ 国宝・松本城

信州・松本市に所在する国宝・松本城は、戦国時代の永生年間に造られた深志城(後に松本城に改名)が始まりといわれています。現存する五重天守の中では日本最古の国宝の城で、黒と白のコンストラストがアルプスの山々に映えて見事な景観で、通称カラス城と呼んでいます。

 大天守と泰平の世になって造られた辰巳附櫓・月見櫓のまとまりは「複合式天守」と呼ばれ、それぞれの時代を象徴しています。この連結複合式天守は、松本城だけに見られる特徴的な構造です。特に、目を引くのは月見櫓です。月見櫓は四方開け放たれており、松本城周囲の景観と月見を楽しめることから、戦のない時代には随分と風流な楽しみができたのでしょう。

 若い頃から北アルプスの玄関口である松本市から新島々を通り、釜トンネルを抜けてアルプスの山々を登っていて一度も松本城を訪れなかったのは、山仲間が松本城近くの駐車場で亡くなったことから、自然と足が遠のいていたのです。

 松本城で好きな景観は水量たっぷりのお堀に映し出された城郭をみることです。また、城内では真夏に訪れると竹筒から噴霧される柔らかなシャワーを受けて涼しさを満喫できることでもあります。

 城内に入ると、種子島などの銃器が展示されています。手甲脚絆の鎧や銃器などは武器でなく芸術品のような繊細な美観に驚きを隠せません。石落としの窓も近くで触れることもできます。中は、場外からの自然の明かりが便りですからうす暗い。天守までの階段は狭くて急ですから、足元に気をつけないと踏み外してしまいかねません。

 天守からの眺めは、松本市が市街区が手にとるように身近に、さらに、北アルプスの山並みの眺望を存分に楽しめます。訪問者で意外に多いのは海外から来た人たちです。言葉が通じなくても、手ぶり身振りでの会話ができるのも粋なものです

◆ 松本城の沿革

 ● 創 始

 松本城は、戦国時代の永生時代はじめに造られ深志城がはじまりです。戦国時代に信濃府中といわれた松本中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように枝城を構えて守りを固め「深志城」も林城の前面を固めるために造られたのです。

 その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追ってこの地を占領して信濃支配の拠点としたのです。その後の天正10年(1582年)に小笠原貞慶が本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を取り返し「松本城」と改名したのです。

 ● 天守の構造

 豊臣秀吉が天正18年(1590年)に小田原・北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康を関東の地に移封し、家康に従って松本城主小笠原秀政が下総へ移り、その後釜に秀吉は石川数正を松本城に封じたのです。

 石川数正・慶長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、慶長の代には天守3棟(天守・乾小天守・渡櫓)をはじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・堀などを造り、本丸・二の丸を固め、近世城下町としての基礎を固めました。天守築造の年代は、慶長の文禄2年~3年(1593~4)と考えられています。

 ●  松本城の修理・復元

 松本城も明治のはじめに破却の運命にさらされましたが、地元の有志市川量造・松本中学校長小林有也氏などの尽力により、明治の大修理を終えて大正2年に完成されました。戦後になって、文化財保護思想が高まり、昭和25年から30年にかけて国直営の天守保存工事が本格的に行われ、それ以後の建物や施設の整備復元が行われてきました。

 特に、昭和54年から60年には二の丸御殿跡の発掘と、それに基づく史跡公園整備、平成2年黒門二の門と袖堀を復元して枡形の完成。平成4年太鼓門枡形の門台石垣復元が完成。平成11年(1999)3月には威風堂々とした太鼓門枡形が復元され、松本城の往時の姿が蘇りその歴史的価値が一層に高められ今日に至っています。

◆ 松本城の特徴

 ● 平 城

 平城である松本城は、城とともに城下町も同時に建設され、本丸を中心に三重の水堀をめぐらして、その外に町屋と寺社地帯を配置したのです。城内は、各曲輪ともほぼ同じ方形で南正面に大手門があり、城の防御力を強化する門・堀・天守・御殿などの建造物を要所要所に配置していまう。

 秀吉の支援を受けた石川氏が前任者小笠原氏の企画を大きく超えて築城された松本城は、わが国における近世城郭の中で初期の城郭ともいえるでしょう。

 ● 狭 間

 天守の壁や櫓、堀などに設置された小窓を狭間といいます。弓や鉄砲を発射する鉄眼で、松本城の場合はその数が多い。種子島に鉄砲が伝来して以来の弓と鉄砲を併用した当時の戦闘方式がうかがえます。

 ● 天 守

 天守は五重六階の大天守を中心に乾小天守を渡櫓で構成し、辰巳附櫓を複合した「連結複合式」と呼ばれる構造で、独立天守の多いその当時ものとしては大変珍しい。

 ● 石 落

 石落は、石垣をよじ登る敵に石を落とした防御装置で、松本城の石垣は野面石による空積みで、初期の手法であり勾配がゆるく直線的で低い。粗放に見えるようだが堅牢です。石質は、石英閃(ヘン)縁岩やひん岩でこの近くの産石です。

 ● 太鼓門

 松本城太鼓門枡形は天守築造の文禄4年(1585年)頃に築かれ、門台北石垣の上に太鼓楼が置かれ、時の太鼓・登城の合図・城下の火急の合図などの発信源として重要な役割をは果たしていました。太鼓門という名称は、この太鼓楼に由来したものであるといわれています。

          (参考文献資料:松本城管理事務所パンフレット)

■ 営業時間 :営業/8.30~16.30  年末年始休業

 所在地 : 〒 1390-0873   長野県松本市丸の内4番1号

■ 交通アクセス

   〇 徒歩

     ・JR篠ノ井線・大糸線、アルピコ交通上高地線

    松本駅(東口;お城口)から約20分 

     ・JR大糸線 北松本駅(東口;お城口から約7分

   〇 バス

     ・松本駅バス停から、松本電鉄バスタウンスニーカー北コースで

     約10分「松本城黒門」バス停下車

     ・松本バスターミナルから、松本電鉄バス浅間温泉行きなどで

     約10分「大名町」バス停下車

   〇 自動車:松本インターチェンジから車で約15分

 

  

     

 

   

 

 

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