◆ 昆虫は足元に

     ★ 名も知らぬ昆虫

 昆虫に興味を持ち始めたのは、つい最近のことである。子供の頃はセミやトンボなどには少しばかりの関心はあったが、子供から大人へ成長するときの一過性に過ぎなかった。

 誰でも経験があると思われるのはセミとりだ。竹で輪を作り蜘蛛の糸を巻き付けてセミをとる。セミの一生は土中が長く地上で鳴いて生きるのは1週間くらいと知ったのは大人になりかけた頃だった。トンボもよく捕まえた。トンボの体に糸を巻き付けて飛ばして遊んだものだ。今、振り返ると子供のころは昆虫などは遊び相手だった。

 だが不思議なことに、今の子供たちのようにカブト虫やクワガタなどには興味を持たなかったから、素手では扱えない。手袋をするか箸で掴むことしかできない。子供たちに笑われても仕方のないことだった。昆虫のことは子供たちの方がよく知っていて教えられる。名も知らない昆虫が足元に沢山いることを知ったのも子供たちからだった。

    ★ 友は奇人変人の昆虫博士

  大人になってから昆虫に興味を持つようになったのは、登山仲間のS君の影響が強い。S君はY県の職員で営林関係の職場で仕事をしていた。彼と一泊ニ泊の山旅をすると、昆虫や野生の生き物の話になり夜更かしすることが多かった。とくに、蛾についての調査研究を趣味の一環として取り組んでいた。蛾には、益虫も害虫もない。人間が勝手に区分してるのであって、蚕は益虫と害虫の双方をもっている。どんな小さな生き物でも、人間と同じように命がある。人間のご都合で殺生してはいけない、と熱く語るときの表情はあどけない子供のように目を輝かしてして、話の終着がなかった。

 テントの灯かりに吸い寄せられて飛んできた蛾を手の平にのせて、蛾の生態などを話し始める。眠りたくとも寝かしてくれず夜明けを迎えることが多い。それだからか、彼から山の誘いがあっても山仲間は敬遠してしまう。しかし、彼といると仕事の疲れが失せてココロが癒されるから不思議だった。

     ★  キノコの話

 S君はキノコについても詳しかった。職場ではキノコ先生とも呼ばれていた。山を登りながら地上や樹木のついたキノコを見つけると「これは毒キノコ、これは食べても大丈夫」と教えてくれる。その場でわかったつもりでもいったん離れるとキノコはみんな食べられそうだった。

 きれいなキノコを見つけると「これは毒キノコ、きれいなキノコには気をつけないといけない、きれいなキノコには往々にして毒がある」と説明してくれる。

 その彼が交通事故で亡くなった知らせを受けたとき「路上にいたカブト虫をかばって車にはねられた」という友人の話に、自分の命よりもカブト虫の命が大切だったのか、と強いショックだった。彼の口癖だった”命は虫であれ人間であれみんな同じ、殺生してはいけない”という言葉を思い出し涙を抑えきれなかった。

 奇人変人というニックネームは彼に与えたい私の友情の勲章だ。彼の死から随分と歳月が過ぎ去り、今は単独登山であちらこちらの山を歩いているが、ときどきテントに飛び込んでくる蛾や昆虫を見ると。彼が蛾などに身を変えてやってきたのではないかと思ったりする。それで、つい話しかけてみたくなるのは、彼の影響かもしれない。

     ★  足元の昆虫に触れる

  彼の影響が顕著に現れてきたのは、デジカメで鳥や動物たちを撮りはじめてからだった。歩いていて不図足元にうごめく生き物を見る。昆虫だ。名も知れない昆虫だ。足が6本ある。生きているのか死んでいるのかわからないままシャッターを切る。レンズ越しに生死の反応をみる。死んでいれば埋葬してあげなければいけない。

  撮影した昆虫の名前はわからいのが多い。彼だと咄嗟に昆虫の名前はわかるだろうが、私はまず無理。自宅のパソコンで画像検索をする。これが厄介だが楽しい。撮影した昆虫と画像が一致して名前がわかったときはうれしくなる。この繰り返しが少しずつ昆虫の世界へと引きずり込まれていく。

 ところで、昆虫で調べていて知ったのは蜘蛛が動物であるということだ。昆虫は足が6本、蜘蛛は8本ある。ある子供に聞いたら「そうだよ、蜘蛛は動物だよ、昆虫じゃないよ」といわれて恥ずかしくなった。子供の方がよく知っているんだなぁ~と感心する。子供の昆虫に対する知識の深さは、中途半端な生き方をしてきた浅い私の知識では、とても太刀打ちできそうにもない。

  今では、デジカメ(CANON SX710HS 30X)を腰にぶら下げているから、どんなときでも昆虫を発見したら撮影している。いつか、道路の真ん中で、カナブンの凄まじい交尾中のところを発見して撮影していて、車に引かれそうになった。事情は違うが昆虫博士の二の舞になるところだった。

最新情報をチェックしよう!